ロッテの逆転勝利で終わった日本シリーズ第7戦。
中日相手に2−6と4点のビハインドを跳ね返したこと自体も驚異的であったが、更に驚かされるのはその内容だ。
4回二死無走者、5回二死一塁、7回二死無走者、そして12回二死二塁。
これがロッテが4回以降得点をあげたイニングの、ツーアウトになった時点での状況である。
二死を取った時点でのランナーの合計は4イニング合計でわずか二人、スコアリングポジションにいた走者はわずか一人である。
この4イニングで計6点をロッテはもぎ取った。
それも全てタイムリーでである。
今季巨人、阪神のファンはナゴヤドームでの自軍のタイムリーなどほとんど思い出せないだろう。
それほどこの球場ではホームが遠かった。
序盤で1点でもリードされてしまうと、その1点を返すのに四苦八苦という状況に陥ってしまう。
ランナーを貯めることは出来てもそのランナーがホームに返ってくる確率は恐ろしく低かった。
一死一三塁や無死一、二塁といった比較的得点をしやすい場面を作っても送りバント、犠牲フライすら打つのは容易ではなく、ましてタイムリーなど皆無に近い。
それがナゴヤドームであった。
その同じナゴヤでロッテは中日投手陣相手に面白いようにタイムリーを放った。
しかも二死になった時点での状況を見れば、決してチャンスとはいえないような場面でありながら。
「一体何故ロッテにはこんなことが可能なのだろう」
という羨望のような思いと同時に
「あのナゴヤドームの魔力とは一体なんだったのだろう」
という疑問も湧いてくる。
結局のところナゴヤドームの魔力などという特別なものはどこにも存在していなかったのだ。
あれは打てなくなり勝てなくなったファンが勝手に作り上げた妄想であり、自ら掘った落とし穴に自ら落ちてもがき苦しんでいたということなのだろうと思う。
その魔力に巨人、阪神はひっかったがロッテは最後までかからなかった。
それがこの結果なのだろうと思う。
落合は「負ければ監督の責任」と述べたようだが、この男がそう言う以上本音は別のところにあると考えた方が良い。
昨年巨人に大差を作られてリーグ優勝を逃した時も巨人の強さを決して言葉にはせず「アゲインストの風が吹いた」という表現で、決して実力でも監督のせいで負けたわけでもないというスタンスを取り続けた。
それがリーグ優勝した今年は巨人、阪神を自軍よりも強いとあっさり認めてしまった。
落合とはそういう男だ。
決して素直に負けを認めるタイプではない。
特に相手が世間で広く認められているような人物の場合には。
そんな落合が「監督のせい」と述べたのは、敵将西村監督がロッテ時代の後輩で地味な存在であり、ロッテが勝ったからといって決して西村監督が絶賛されることはないだろうという計算も働いてのことだろう。
昨年の巨人原監督がすでにWBCで世界一監督となり、世間から絶大な評価を受けてしまっていたのとは状況が大きく異なる。
それがオレ流の意地というものなのだろう。
では落合の本音はといえばやはり監督ではなく選手の差を感じたのだろうと思う。
といってもその差はプロ野球選手としての力量ではない。
今年だけでなくここ数年という期間で考えると中日の和田、森野、荒木、井端といった主力選手の力量、安定感は抜群であり、勝ったロッテの中から誰を持ってきてもこの4人に匹敵する力量を数年に渡って発揮した選手はいない。
しかしこと短期決戦という限定された条件の中でのみ比較すると、ロッテの選手の勝負強さは中日の主力選手をも凌駕していた。
特に最後に決着をつけた岡田に代表されるように、際立った主役がいない代わりにチャンスで回ってくると誰もがその場限りのヒーローになれるという逞しさは、正統派でまじめな選手が多い中日にはない要素だった。
もっとも中日の野手はシーズン中からそれほど得点をあげていたわけではなく、その点について言えば想定外ではなくシーズンどおりだったと考えてよいだろう。
昨日の第7戦など初回に2点を取られながらすぐさま逆転しており、むしろシーズン中よりも打つ方は頑張っていたかもしれない。
にもかかわらず負けたのは投手陣の誤算であり、さらに突き詰めれば1点を守りきれなかった浅尾に行き着くだろう。
といって浅尾の誤算は昨日の第7戦ではなくその前日の第6戦だ。
この試合の8回こそ、シリーズの勝敗を分けた最重要ポイントだったと言ってよい。
7回終了までチェンが1失点と好投し2−1と1点リードで迎えた8回。
中日としては完璧な勝ちパターンで浅尾を投入。
ここで予定通り浅尾が8回を抑え、9回を高橋、岩瀬で逃げ切っていれば、中日は再び自分達の野球に自信を取り戻すことが出来たのではないか。
しかし浅尾はこの1点を守ることができずロッテサブローに同点タイムリーを浴びてしまう。
わずか1点リードながら、それを確実に守りきって勝ち星を重ねてきたからこそ中日は優勝できたわけで、1点しかリードがないから打たれることもあるという一般論はこの場合当てはまらない。
この試合の8回はそれほど重要な場面であり、浅尾にとっては一切の言い訳が出来ない状況だったからだ。
その状況を作ったのは他でもない落合だ。
その2日前の第5戦。
落合は序盤に失点した中田を9失点まで続投させ、勝ちゲームの継投である浅尾、高橋、岩瀬を温存した。
翌日が移動日で休みである点や連投しても7試合で終了する点、どう転ぶか分からない短期決戦である点などからこの落合温存采配にはかなりの疑問符がついた。
そして結果的にはこの温存采配が、浅尾に一分の言い訳すら不可能な厳しい状況を提供してしまったのだから皮肉な話だ。
この短期決戦の中で二日も休養を与えられておきながらわずか1イニングを抑え切れない。
失敗すればそんな批判が飛んでくることは目に見えており、それがただでさえプレッシャーのかかる日本シリーズという舞台で更なる足枷をこのセットアッパーに課してしまったのかもしれない。
逆に昨日最終戦で4イニング目に勝ち越しを許した浅尾を責める者は一人もいまい。
セットアッパーにとって4イニングは明らかな過重労働であり、責任回数を遥かに超越していると誰もが認識しているからだ。
肉体的にはきつかったかもしれないが精神的な負担は前夜と比べてどうだっただろう。
言い訳の出来ないプレッシャーを感じながら重苦しい雰囲気で投げていた前日と比べて、昨日の浅尾はシーズン中にもないロングリリーフでありながら、実にのびのびと素晴らしいボールを投げていたようにも見えた。
肉体的な負担を重視するならば落合の温存采配も決して間違いではない。
しかし人は機械ではない。
時として肉体的負担より精神的な負担の方がはるかにマイナスとなることがある。
それこそが落合の最大の誤算だったのかもしれない。
とはいえこの7試合の両チームの戦いは勝者、敗者の別なく賞賛に値するものだった。
西村、落合両監督並びに全選手に大いなる拍手を送りたい。

