2010年11月08日

落合の誤算はなんだったのか?

あるいは中日ファン以上に巨人や阪神のファンに衝撃的なシーンの連続だったに違いない。
ロッテの逆転勝利で終わった日本シリーズ第7戦。
中日相手に2−6と4点のビハインドを跳ね返したこと自体も驚異的であったが、更に驚かされるのはその内容だ。
4回二死無走者、5回二死一塁、7回二死無走者、そして12回二死二塁。
これがロッテが4回以降得点をあげたイニングの、ツーアウトになった時点での状況である。
二死を取った時点でのランナーの合計は4イニング合計でわずか二人、スコアリングポジションにいた走者はわずか一人である。
この4イニングで計6点をロッテはもぎ取った。
それも全てタイムリーでである。

今季巨人、阪神のファンはナゴヤドームでの自軍のタイムリーなどほとんど思い出せないだろう。
それほどこの球場ではホームが遠かった。
序盤で1点でもリードされてしまうと、その1点を返すのに四苦八苦という状況に陥ってしまう。
ランナーを貯めることは出来てもそのランナーがホームに返ってくる確率は恐ろしく低かった。
一死一三塁や無死一、二塁といった比較的得点をしやすい場面を作っても送りバント、犠牲フライすら打つのは容易ではなく、ましてタイムリーなど皆無に近い。
それがナゴヤドームであった。

その同じナゴヤでロッテは中日投手陣相手に面白いようにタイムリーを放った。
しかも二死になった時点での状況を見れば、決してチャンスとはいえないような場面でありながら。
「一体何故ロッテにはこんなことが可能なのだろう」
という羨望のような思いと同時に
「あのナゴヤドームの魔力とは一体なんだったのだろう」
という疑問も湧いてくる。

結局のところナゴヤドームの魔力などという特別なものはどこにも存在していなかったのだ。
あれは打てなくなり勝てなくなったファンが勝手に作り上げた妄想であり、自ら掘った落とし穴に自ら落ちてもがき苦しんでいたということなのだろうと思う。
その魔力に巨人、阪神はひっかったがロッテは最後までかからなかった。
それがこの結果なのだろうと思う。

落合は「負ければ監督の責任」と述べたようだが、この男がそう言う以上本音は別のところにあると考えた方が良い。
昨年巨人に大差を作られてリーグ優勝を逃した時も巨人の強さを決して言葉にはせず「アゲインストの風が吹いた」という表現で、決して実力でも監督のせいで負けたわけでもないというスタンスを取り続けた。
それがリーグ優勝した今年は巨人、阪神を自軍よりも強いとあっさり認めてしまった。
落合とはそういう男だ。
決して素直に負けを認めるタイプではない。
特に相手が世間で広く認められているような人物の場合には。
そんな落合が「監督のせい」と述べたのは、敵将西村監督がロッテ時代の後輩で地味な存在であり、ロッテが勝ったからといって決して西村監督が絶賛されることはないだろうという計算も働いてのことだろう。
昨年の巨人原監督がすでにWBCで世界一監督となり、世間から絶大な評価を受けてしまっていたのとは状況が大きく異なる。
それがオレ流の意地というものなのだろう。

では落合の本音はといえばやはり監督ではなく選手の差を感じたのだろうと思う。
といってもその差はプロ野球選手としての力量ではない。
今年だけでなくここ数年という期間で考えると中日の和田、森野、荒木、井端といった主力選手の力量、安定感は抜群であり、勝ったロッテの中から誰を持ってきてもこの4人に匹敵する力量を数年に渡って発揮した選手はいない。
しかしこと短期決戦という限定された条件の中でのみ比較すると、ロッテの選手の勝負強さは中日の主力選手をも凌駕していた。
特に最後に決着をつけた岡田に代表されるように、際立った主役がいない代わりにチャンスで回ってくると誰もがその場限りのヒーローになれるという逞しさは、正統派でまじめな選手が多い中日にはない要素だった。

もっとも中日の野手はシーズン中からそれほど得点をあげていたわけではなく、その点について言えば想定外ではなくシーズンどおりだったと考えてよいだろう。
昨日の第7戦など初回に2点を取られながらすぐさま逆転しており、むしろシーズン中よりも打つ方は頑張っていたかもしれない。
にもかかわらず負けたのは投手陣の誤算であり、さらに突き詰めれば1点を守りきれなかった浅尾に行き着くだろう。

といって浅尾の誤算は昨日の第7戦ではなくその前日の第6戦だ。
この試合の8回こそ、シリーズの勝敗を分けた最重要ポイントだったと言ってよい。
7回終了までチェンが1失点と好投し2−1と1点リードで迎えた8回。
中日としては完璧な勝ちパターンで浅尾を投入。
ここで予定通り浅尾が8回を抑え、9回を高橋、岩瀬で逃げ切っていれば、中日は再び自分達の野球に自信を取り戻すことが出来たのではないか。
しかし浅尾はこの1点を守ることができずロッテサブローに同点タイムリーを浴びてしまう。
わずか1点リードながら、それを確実に守りきって勝ち星を重ねてきたからこそ中日は優勝できたわけで、1点しかリードがないから打たれることもあるという一般論はこの場合当てはまらない。

この試合の8回はそれほど重要な場面であり、浅尾にとっては一切の言い訳が出来ない状況だったからだ。
その状況を作ったのは他でもない落合だ。
その2日前の第5戦。
落合は序盤に失点した中田を9失点まで続投させ、勝ちゲームの継投である浅尾、高橋、岩瀬を温存した。
翌日が移動日で休みである点や連投しても7試合で終了する点、どう転ぶか分からない短期決戦である点などからこの落合温存采配にはかなりの疑問符がついた。

そして結果的にはこの温存采配が、浅尾に一分の言い訳すら不可能な厳しい状況を提供してしまったのだから皮肉な話だ。
この短期決戦の中で二日も休養を与えられておきながらわずか1イニングを抑え切れない。
失敗すればそんな批判が飛んでくることは目に見えており、それがただでさえプレッシャーのかかる日本シリーズという舞台で更なる足枷をこのセットアッパーに課してしまったのかもしれない。

逆に昨日最終戦で4イニング目に勝ち越しを許した浅尾を責める者は一人もいまい。
セットアッパーにとって4イニングは明らかな過重労働であり、責任回数を遥かに超越していると誰もが認識しているからだ。
肉体的にはきつかったかもしれないが精神的な負担は前夜と比べてどうだっただろう。
言い訳の出来ないプレッシャーを感じながら重苦しい雰囲気で投げていた前日と比べて、昨日の浅尾はシーズン中にもないロングリリーフでありながら、実にのびのびと素晴らしいボールを投げていたようにも見えた。
肉体的な負担を重視するならば落合の温存采配も決して間違いではない。
しかし人は機械ではない。
時として肉体的負担より精神的な負担の方がはるかにマイナスとなることがある。
それこそが落合の最大の誤算だったのかもしれない。

とはいえこの7試合の両チームの戦いは勝者、敗者の別なく賞賛に値するものだった。
西村、落合両監督並びに全選手に大いなる拍手を送りたい。

posted by 私漢 at 16:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 野球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月05日

ロッテの切り替え力対落合の虚勢力

「これでいい流れがくるはず」
シリーズ史上に残る激闘を延長11回の末に制した中日落合監督の試合後のコメントだ。
短期決戦においては流れを掴むことが最重要とよく言われる。
そんな中で延長戦のような接戦をものにすれば流れが自軍に来たと確信するのは当然だろう。
しかもただの延長戦ではない。
中日側から見ればアウェイの千葉マリンで、10回裏には守備の乱れから無死二三塁というこれ以上ないサヨナラ負けの危機。
ここで一死からまさしく幸運としかいいようのないサードライナーゲッツーで九死に一生を得てのミラクル勝利。

この勝ち方で流れが来ないわけがない。
もし流れなどというものが本当にあるのだとすれば。
では流れとはそもそもどういうものなのだろう。
個人の場合を考えると分かりやすい。
それは例えば通勤電車の乗換えがスムーズにいった時とか、たまたま立った前に座っていた人がすぐに降りたためにすっと座れたりとか、買い物の際に端数が3円の時にちょうど財布の中に3円があった時とか。
こうした人知の及ぶ範疇ではない出来事が自身にとって好都合に回ってくれた時、多くの人は「今日の自分には流れが来ている」と感じやすいものだ。

では勝負事においてはどうか。
ここで流れが生じるには一方だけでなく、相対する側も同じ出来事から同様の流れを(ただし逆方向に)感じる必要がある。
例えばテニスや卓球などにおけるネットインでの得点などがそれに当たるだろう。
一度くらいならそれほど流れを感じることもないだろうが、これが二度三度と続いていずれも同じ側が得をする結果となると、互いに今日は実力以外の目に見えない力が働いているという気にもなってくるだろう。

そこで第4戦の10回裏に話を戻そう。
一死満塁となったあの場面でサードへのハーフライナー。
一部スポーツ紙では三塁手を森野から堂上に代えたことや、三塁線寄りに守らせたことを以って落合の計算どおりなどと後付の評価をしている向きもあったが、あれは偶然の域を出るものではないだろう。
そもそも狙ってサードのライン寄りに打たせるような奇跡のような技を使える投手がいたら、沢村賞どころか今すぐ海を渡ってサイヤング賞でも取れるはずだ。
確かにあの場面で打者の福浦は引っ張るより流す意識が強く、打球が右よりは左方向に飛びやすいくらいのことは誰でも予測できるが、それがセンター方向なのか三遊間なのか、三塁線ぎりぎりなのかなど、投げた投手はもちろん打った福浦にも実際に打球が飛ぶまで分かるまい。
まあ百歩譲って三遊間よりも三塁線に跳ぶ確率が高いとしてもそれはせいぜい数%程度の差でしかなく、計算どおりなどということは有得ない。

つまりある程度の計算はあったにしても実際に結果を決めたものは偶然でしかなく、その偶然がこれ以上ない形で絶体絶命の危機を救ったのだから、そこに自分達への確かな流れを感じるのはごく自然の成り行きだ。
ただ落合および中日の選手に誤算があったとすれば、ロッテの選手たちの切り替えの早さが想像以上だったことだろう。

恐らくはバレンタインが監督をしていた頃からの遺産だろうか。
ロッテの選手は恐ろしく切り替えが早い。
そして恐ろしくポジティブだ。
例えば今年のクライマックスシリーズファイナルステージのソフトバンク戦のこと。
初戦を勝ったものの続く2試合を落として1勝2敗。
アドバンテージを含めると1勝3敗と王手をかけられたロッテ。
追い詰められた試合でロッテの今江はこうコメントした。
「このままでは終われない。」

なるほど勝負事は最後まで諦めてはいけないという大前提に立てば、王手をかけられたからといってあっさりおしまいというわけにはいかないというのも分からなくはない。
しかし私はこの言葉にかなりの違和感を覚えた。
ロッテはシーズン3位であり、対するソフトバンクはリーグ優勝。
経過と蓄積を重んじる日本人気質から言えば、優勝したソフトバンクが日本シリーズに出るのが望ましいと考えるのが一般的だろうし、当該チームのファンの中にも優勝できなかった以上シリーズには出るべきではないという意見を持つ者も少なくない。

したがってもしソフトバンクが先に王手をかけられていて、そのソフトバンクの選手から先のコメントが出たならば多くの人が共感したに違いない。
「そりゃそうだ、優勝したんだからこのままあっさり終わっていいはずがない。君達には日本シリーズに出場する権利が誰よりもあるはずだ」と。
逆に言えば3位のロッテは「もうそろそろ、君達はこのまま終わってもいい」と思われてるわけで、そんな中で出ただけに今江の言葉は違和感を生むのだ。

だがしかしロッテというチームにはこうした通常の日本人的感覚は通用しない。
彼らは3位という遠慮を全く持たず、アウェイの福岡でソフトバンクに土壇場から3連勝してシリーズ進出を勝ち取った。
同じように第4戦で完全に中日にいったと思われた「流れ」というものを完全に無視した。
しかし無視しようとして簡単にできるほど人の心は強くはできていない。
あれだけ最悪の負け方をして翌日けろっと切り替えられる人間はそうそういないものだ。
それがチーム全体としてできているのだから恐るべき切り替え力といわざるを得ない。

「来るはず」と思っていた流れが来なかったのだから落合にとっても昨日の第5戦は想定外だったはずだ。
しかしここでうろたえたりしないのがオレ流。
流れがまだ自分達にあることを示すために、今日の試合はもともと負けてよい試合、つまりは捨てゲームということに途中からしてしまった。
先発の中田を9失点まで引っ張ったのも、高橋、浅尾、岩瀬を投入しなかったのも、主力を下げたのも、全ては来るはずの流れが来なかった想定外の事態に選手が混乱しないための措置だったと言ってよいだろう。

「今日ははなから負けていい試合。つまり今日負けたからといって昨日こちらに来た流れを相手にやってしまったわけではない。まだ流れは我々にあるはずだ。」
そうチーム全体に暗示をかけるために。
中継ぎの連投を避けるという表向きの理由は嘘だろう。
それよりは対戦経験が少ない方が投手は有利という落合流自論の方がまだいくらか説得力はある。
ただ昨日の場合はそれよりも、勝ちにいって負けてしまうことでチーム全体をパニックに陥れる危険性を回避したと見るのが適切ではないか。
裏を返せば中日の選手はロッテと比べると、精神的にはそれほど逆境に強くはできていないということを落合はよく知っているということなのかもしれない。

舞台は再びナゴヤドームへ。
抜群の切り替え力と前向き思考のロッテか、あえて負け試合を作ってまで選手を動じさせまいという虚勢力を発揮した落合中日か。

posted by 私漢 at 16:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 野球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月03日

私漢的シリーズ観戦ポイント

CSではアドバンテージを含めて巨人に4勝1敗と数字の上では完勝した中日。
しかし第3戦で岩瀬が阿部に勝ち越しホームランを打たれた翌日、勝つには勝ったものの岩瀬の代わりに9回を任された浅尾が2点リードを守れないという脆さを露呈。
浅尾にとってはセットアッパーとクローザーは同じ1イニングでも全く違う仕事であることを味わった貴重な経験とは言えるが、あれ以来登板のない浅尾が果たして日本シリーズにどういう心理状態で臨むのか。
そして落合はリードした最終回を誰に委ねるのか。
これが私漢的には日本シリーズの最大の注目であった。

これまで3戦を終えてまだその場面は訪れていない。
初戦と第3戦はロッテがリードしていたため出番はなく、勝った第2戦は大勝のため登板はあったものの今後の参考とするには適切な状況ではなかった。
中日がもう一度ナゴヤドームに戻り日本一を手にするには、嫌でも岩瀬、浅尾を僅少差で起用する場面を作らねばならず、その時に落合がどういう起用をし、二人の投手がどういうピッチングを見せるのかは依然としてこのシリーズの最大の注目ではある。

しかしこれまでの3試合は中日にとっては「それ以前の問題」に四苦八苦しているという印象だ。
今シーズンの中日の戦いを振り返る時、第2戦の12得点はむしろ例外的な勝ち方であり、初戦の3得点、第3戦の1得点の方がどちらかと言えばシーズン中の得点力には近い。
したがってアンダースローの渡辺俊に抑えこまれたのは実はそれほど意外なことではなく、今季の中日は元々それほど得点力のあるチームではない。
つまり1勝2敗とここまで負け越している原因は打線の不振にあるのではなく、その少ない得点を守りきれない投手陣の不調にあるということになる。

初戦の吉見、第3戦の山井が共に5回もたなかったことも計算外だっただろうが、第2戦で勝ったチェンも6回1失点という数字以上に苦戦した印象だ。
序盤から大量点が入っていたことを考えれば、チェンの力量からして100球以内で完投、完封という快投を期待してもいいと思われるが、昨日の山井同様序盤から球数が多く、とても完投などは考えられない苦投であった。
この球数の多さがシーズン中にはあまり見られなかったこのシリーズにおける中日投手陣の異変であり、これが何に起因しているかといえば恐らくはキャッチャー谷繁の迷いなのだろう。

つまりまだ谷繁の頭の中でロッテ打線の対策に確信が持てていない状況と考えてよい。
キャッチャーの迷いは投手に伝わり、その自信のなさがボール先行の慎重すぎるピッチングに繋がっているものと思われる。
谷繁の迷いの原因の一つはロッテ打線の特徴でもある、中心のなさにあるだろう。
例えば今季巨人打線を徹底的に封じた中日投手陣だが、その勝因を突き詰めれば4番ラミレスを完全に抑えたことによるものといってよい。
昨年ラミレスは中日相手に面白いように打ちまくっており、その成績がそのまま対戦成績に反映され、ひいてはチーム成績の差にも繋がった。
その借りを返すべく谷繁はラミレスを徹底的にマークし、見事これを攻略。
球界最高峰の捕手の面目躍如たる活躍であったが、ロッテ打線相手には残念ながらまだ谷繁の力は発揮されていない。

それもそのはずでロッテ打線には巨人のラミレスのような中心的存在というものがない。
このチームで最も本塁打を打っている韓国の4番金は下位の7番であり、メジャー返りの井口は3番を打つことが多い。
4番サブローは打率2割6分であり、ラミレスと同じ4番でもお世辞にも打線の中心的存在とは言いがたい。
今季200安打の西岡は1番、大舞台に強い今江は5番、チャンスに強い福浦は6番といずれも絶対的な中心選手ではないながら癖のある打者が並んでいる。
つまり相手からすれば短期決戦でキーとなる打者が誰なのかが非常に絞りにくい打線といえる。
そんな中で昨日試合を決定付ける満塁走者一掃のタイムリーを放ったのはルーキーで2番の清田。
ロッテ打線の中では比較的マークから外れやすい選手であり、こういう選手に試合を決められると捕手としては更に迷いは深まるばかりだろう。

無論全員をマーク出来ればいいのだろうが、時間的にも人間の集中力の限界から考えても全ての選手を同じようにマークするというのは不可能に近いだろう。
ならばどこに的を絞るのか。

今日で中日の4戦目を迎える日本シリーズ。
谷繁がロッテ打線をどう認識し、いかに攻めるのか。
あるいは落合が目先を変えるために捕手を小田あたりに代えて臨むのか。
中日が浅尾、岩瀬を本来の場面で起用する機会なく終わるのかどうか。
第4戦以降に注目したい。

posted by 私漢 at 14:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 野球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする